人は毎日似たような生活をしている。
社会人になればなおさらである。
人はホメオスタシス(恒常性)があり、内部環境を一定状態に保とうとしている。
外部環境も同じで一定状態に保とうとしている気がする。
自分に言えることだが毎日同じようなことをしていると失敗をしないので気分よく過ごすことができる。
しかし、最近思うのは毎日同じような生活をしていて良いのかということだ。
この良い悪いは、自分の将来が望む方向を向いているのか、そうでないかを基準にしている。
「ゆでガエル理論」というものがあるがまさに自分がそうなっているのではないか、そう感じるのである。
「ゆでガエル理論」を知らない方の為に簡単に説明すると、カエルは熱湯に入れると熱さで飛び出るが、水に浸かった状態でゆっくり水温を上げていくと熱湯になったことに気づかずに茹で上がって死んでしまうという理論である。
私も毎日、出勤している。そして、似たような業務を繰り返している。
自分では変化に気づかないほど、ゆっくりと変化しているのではないか。
変化に気づかなければ良い方か悪い方か、自分が進んでいる方向にも気づかない。
たまに同期が辞めたり、人が異動したり、人が増えたり、人が亡くなったり、人の誕生日があったりして、変化が起きているのだと気づくが、気付いたところで、翌朝になってしまえばすっかり忘れている。
ではどうすれば、ゆでガエルになることを避けられるのか。
それは簡単である。
湯から出てしまえばいいのだ。
そして、他の湯に入ればいいのだ。
そうすれば、こっちのほうが良いなとか、前の方が良かったなと自分の中で基準を作ることができる。
人は、ひとつしかものを知らないから、恐怖に支配されてしまうのではないか。
不安なことは過去にたくさんあったが忘れてしまった。
なぜなら、不安に思っていたことは行動によって解消され今は不安に思っていないからだ。
つまり、転職が不安なら、転職してしまえば不安はなくなるし、貧乏になることが不安なら、貧乏になってしまえば不安はなくなるのだ。
将来が不安なら、人生が終わる頃にはその不安は解消されているし、みっともない人間になってしまわないか不安なら、みっともない人間になってしまえば不安はなくなる。
僕は、自分の仕事に不満を言うサラリーマンになるのが怖かったし、社会に出ることが怖くて就職をしたくなかった。
色んな人に謝る大人になってしまう事が不安だったし、お金がなく、20代半ばにして将来に不安を持っている人になってしまう事が怖かった。
しかし、現実になった。
そしたら楽になったというか、その不安はなくなった。しかし、また少し未来の不安が現れた。
それで気付いたが人間の不安はなくならない。
未来は不確定だからだ。
不安とは決まっていない未来であり、不安がないとは決まってしまった過去である。
将来が不安なのは仕方がない。決まっていないのだから。
不安への対処は簡単である。
不確定を確定させてしまうことである。
だから、不安なことはやってしまえば良い。
そしたら、それは過去になって不安はなくなり、新しい不安が出てくる。
そしたら、またやってしまって、の繰り返しである。
一番良くないのは、行動をしないことである。
何も確定しないまま時間だけが過ぎて、前進しない。
仕事を毎日真面目にやっているのだから、それでいいじゃないか。と思うかもしれないが、仕事は人生の一部に過ぎない。
そして仕事に満足していない人は多いように思う。
転職してみようかな、英会話に行ってみようかな、youtubeはじめてみようかな。
思いついたらやってみるしかない。
仕事でもそうである。
あの客で数字伸ばしたいな、あれ売りたいな、ここ改善したいな、これ作りたいな。
やってみるしかない。
失敗は怖い。
でも不安に思って行動しないより、行動して失敗した方がマシである。
行動は前進し、進んだ場所が間違っていたに過ぎない。
半歩横にずれれば望んでいた場所に行けるかもしれないし、今いた場所から場所が変わったことで見える景色が違うかもしれない。
ずっと同じところにいる事がいけない。いや、いけないことはないが、自己実現をしたいのであれば、様々な視点を持つ必要がある。
山を登るためには、遠くから眺めていても登ることはできない。
まず山の麓に行くしかないのだ。
それが前人未到の山ならとりあえず登ってみるしかない。
道を間違えたなら、戻って新しい道を選ぶしかない。
誰かが登った山なら、同じルートで進めばいい。
人と同じルートを選んだなら、あとはスピードを上げるだけでいい。
人と同じルートを選ぶこと、つまり同じことをすることが目的を達成する最短の方法である。